カテゴリ
以前の記事
2012年 03月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 フォロー中のブログ
お知らせ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
NGOの団体と一緒にタイへ行ったとき、ラオスまで足を伸ばして救急車をプレゼントする計画があった。しかし、実際にラオス側に打診すると「無料の救急車があっても治療費が払えないからいらない。それ以前に、病気になって死ぬことになっても、村で家族や村の人に見守られて死ぬのは幸せなことです。もし、何か頂けるのなら、学校を修理したいから、トタン板にしていただけないでしょうか」と言われた。
同じような体験をされた方は少なくないと思う。死を恐れないという宗教観も、冷静になれば納得できる。 しかし、これを現場で見聞体験すると、かなりの衝撃。 結果としては、現地で参加メンバーから総額1万円か2万円ほどのカンパを募り、トタンを買い付けプレゼント。後日、村民の共同作業によって無事学校の修復ができたというお礼状が届いた。ここまでなら、いいニュースだった。 その後、我々と同様の活動をする団体が次々に誕生。1年後には、トタン板の価格が10倍ほどに値上がりしてしまったのだった。トタン板でこの騒ぎ。もし、無理矢理に救急車を押しつけていたらどうなっていたのだろう⋯。 #
by shunkanID
| 2005-09-06 15:48
| アジア
台風が接近している。あちらこちらで浸水のニュース。つい先日はアメリカで大変な被害が伝えられたばかり。大きな被害がでなければ⋯と願っている。
7、8年前のことだが、バンコクで街中大洪水に遭遇したことがある。 雨は前日の夕方から深夜まで激しく降り続いていたが、僕は翌日帰国予定だったので、旅行中降られなくてよかったくらいに軽く考えていた。しかし、翌朝、ホテルの窓から外を見ると、道路が完全に水没していた。 ホテルに迎えに来たタクシー(もちろんサムローではない)に大丈夫かと聞くと、たぶん大丈夫だと思うという返事。ホテルのファサードは道路より一段高いので乗り込む時は問題はない。だが、道路に入ると完全に河の中。しかも、ゆっくりだが水量はますます増えてくる。タクシーは、少しでも道路が高い中央部分を走行するが、やがて車内も浸水。周囲を見渡せば、あちらこちらで車が浮いている。比較的元気なバスが通ると大波がタクシーを襲う。タクシーのドライバーが一度停まったら、ここから出られないと言いながら、赤信号の交差点に侵入していった時には言葉を失った。 結果的には無事帰国したのだが、浸水という言葉を聞くと、あの根性のあるドライバーの緊張した顔を思い出す。 #
by shunkanID
| 2005-09-05 18:37
| アジア
アフガニスタンのカブールで残念な事件が起こってしまった。
こうした事件が起こる度に「なぜ、そんなに危険な場所に⋯」と言われる。 旅慣れた人間は敢えて危険な場所へは行かない。危険とされる国や地域にも比較的安全な場所はあるし、安全とされる街にも近づかないほうが良い場所もある。事件に遭われたお二人も十分承知していたと思う。もちろん、アフガニスタン全体が中東全体が不安定という認識もあったと思う。しかし、近年、国立博物館の復興のニュースも日本に届いている。あの、ニュースを観た人なら、多少のリスクを覚悟すれば行けると判断しても不思議ではないような気がする。その程度の判断材料⋯と呆れるかもしれないが、現地へ行けば、さらに情報は限定され、いい人に出会うか悪い人に出会うかというレベルで運命は左右される。 実際、僕も東南アジアのある国(有名な観光国)で、タクシーに乗り、ゲリラがいる国境に連れて行かれたことがある。あのドライバーの目的がなんだったのかと想像することができる今なら、自分の軽率さを反省できる。それでも、あのドライバーの笑顔を思い出すと、いい人だったとしか思えない。現地の感覚はおおむねそんなものではないかと思うのだが。 #
by shunkanID
| 2005-09-04 11:30
| アジア
僕が初めてロンドンを訪れたのは1988年だったと思う。
ある日、ぼんやりとテレビを観ていると狂牛病のニュース。 実は、その時は、僕には何が起きているのか全く判らなかった。 それよりも、その直後に流れた映像に注目していた。 それは、農薬まみれで危険という果物を破棄しているニュースの映像だった。 確か、フランスあたりから輸入された果物で、どこかの港の風景だったように記憶している。 このニュースは繰り返し流されていた。 しかし、日本に帰ってみると、農薬まみれの果物のニュースは全く知られていなかった。狂牛病のニュースも数ヶ月後にようやく流れた。狂牛病そのものが1986年から世界的に問題になっていたことを知ったのも、その時だった。 昔のニュースは本当に遅かった⋯、今はインターネットもあるし⋯。 いや、果たしてそうだろうか。何か違うような気がする。 日本において狂牛病騒ぎが本格化したのは吉野家の牛丼からだったかもしれない。 確かに、厚生労働省のホームページには情報が掲示されている。 しかし、ほとんどの日本人は牛丼販売中止まで無関心だったのではないか。 メディアも2005年9月現在も米国産牛肉輸入再開関連のニュースばかりだ。 #
by shunkanID
| 2005-09-03 12:13
| ヨーロッパ
2005年7月のロンドン爆弾テロから、あっという間に2ヶ月が経った。
アメリカの911からは、もう4年にもなる。 実は、911の事件の直後、僕はニューヨークにいたのだが、その話は次の機会に。 きょうは、ロンドンの街に設置されている監視カメラの話。テロの話ではない。 あの事件のニュースを見ていて、一番気になったのが、 事件直後から、犯人とされる人物の映像が次々と発表されたことだった。 もちろん、事件解決の手段と考えればそれまでのことではあるが、 日々、あらゆる人間がカメラによって監視されていると思ったら、少し気持ちが悪くなったのも事実。 ロンドン市内には50万台(一説には100万台)ものカメラが設置されているとは聞いていたが、実際には一人に一台ではないかと疑いたくなった。 しかし、日本においても監視カメラは確実に増え続けていて、 ATMで現金を引き出す犯人の映像などは、日常的にニュースで観ることができる。 ⋯と思ったとき、ふいに911の事件のことが浮かんだ。 あの時、空港の監視カメラに写っているはずの犯人の映像は遂に公開されないまま。 映像の管理体制の違い、法律の違いによるものとは思うのだが⋯。 #
by shunkanID
| 2005-09-03 11:45
| ヨーロッパ
|
ファン申請 |
||